3大ギリシャ悲劇作家です。受験勉強で丸暗記したのではないでしょうか?(僕は、しました)
数あるギリシャ悲劇の中で「最高傑作」とされるのが、ソフォクレス(ソポクレス)の「アンティゴネー」です。読む前から余り詳しく解説すると楽しみが減りますので、一部を引用しながらその主題について、考えてみたいと思います。
国を裏切って戦死した兄(ポリュネイケス)の骸を、国の掟に逆らって埋葬しようとするアンティゴネーと、その妹イスメネの会話。
アンティゴネー「神々が祝福してくれる掟を踏みつけにする罪を、たっぷり味わったらいい」
イスメネ「国の掟を無視するなどということは-私にそんな力が有るわけがない」
アンティゴネーは「神々の掟」を守ろうとするのに対して、イスメネはあくまでも「国の掟」を守ることを主張する行です。「アンティゴネー」は重層的な矛盾を提示する、非常に奥が深い作品ですが、上記部分が一つのポイントになっています。後にイスメネは、姉の罪を被ろう(?)としますが、アンティゴネーはそれを許しません。
若いうちに、ぜひ読んで欲しい作品です。自分はどう生きるべきなのか。どう生きたいのか。そういうことを深く考えさせる、数少ない作品の一つです(注)。
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Amazonのプログラムを利用して画像を引用することにしました。
P38に「あからさまな独裁的権力構造は
存在しないが、自由なき?平等な状態が
いかに発生するか」が示されている。
それは「無関心」がゆえであると。
新潮文庫の「オイディプス王・アンティゴネ」(福田 訳)の解説に、この作品を読み解くヒントがありますので、それも引用しておきます。
『エリオットの言葉を借りれば、「善き個人」は必ずしも「善き市民」ではあり得ず、「善き市民」は必ずしも「善き個人」ではあり得ない。我々の周囲に見られるのは、大抵、「善き市民」であって、社会の慣習や国家の法に触れぬ生活をしているだけのことであり、そういう人々が全き「善き個人」としての神の道、あるいは普遍的な道徳に触れぬ生活をしているとは言えない。』
ここで、エリオットを読んでみたくなった人は、そちらもぜひ。
非常に短いものですが、「善き個人」として、どう在りうるのか。そんなことを考える機会をくれる作品です。
※注) ギリシャ悲劇には、結構駄作(私見です)が多い。
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