流れからすると、今日は(7)で述べた「発明塾で何を目指すか」を書く日なのですが、例によって間に挟まった塾生へのメールから、一冊の本を紹介します。
「スモール・イズ・ビューティフル」E.F.シュマッハー
です。
この本は、僕が大学院でエネルギー応用工学専攻(現在の「エネルギー科学研究科エネルギー変換科学専攻」に相当)に入って、色々考える中で出会った本です。
技術と人間について掘り下げるには
経済学が役に立つ
僕は元々は機械工学科に在籍し、金属材料(チタン合金等)の疲労破壊現象の解明、いわゆる「破壊力学」を専門にしていました(大学院でも研究内容は同じ)。たまたま、その研究室が学科再編の流れで、新しくできた「エネルギー応用工学専攻」に所属することとなり(というか、教授がその発起人の一人)、エネルギー問題を扱うという「課題オリエンテッド」な学科で学ぶこととなりました。
実はこの一連の流れの中で、実に様々な事を体験しました。一つは「やはり人は変化を嫌う」ということです。「エネルギー応用工学なんて意味不明な学科出身となると、就職に不利」と、同じ研究室の何名かは、機械系に「戻る」ために研究室を離れました。離れないまでも、何名かは「迷惑だよね」と言っていました。
僕はというと、上記のような様々な意見に「そうですね」と表面的には賛同しながら、持ち前の好奇心と「なんとかなるんじゃないの、ちゃんと力つけてれば。結局最後は実力でしょ」という楽観主義で、研究室にそのまま残って「エネルギー応用工学」を学びながら、「金属材料に関する破壊力学」の研究を続けることにしました。ちなみに当時の僕の研究テーマは「多結晶金属材料の疲労強度に及ぼす、微細組織の影響」とかなんとかで、卒論も修論も全く同じ題名という、のんびりしたものでした。
なんせ、一本の試験片を昼夜繰り返し引っ張り、数万回の疲労寿命までの合間合間に、疲労亀裂の進展をレプリカ法で観察測定するという超アナログな研究。年に10本か20本の試験片をテストできればいい方でした。忙しい時は、疲労試験を行なっている間に、スパコンでシミュレーションを回し、研究室と実験室を昼夜行ったり来たりという感じでした。暇な時は、試験中は試験機が暴走しないように見ているだけなので、語学の勉強をしていました。
脱線。
新しい大学院の科目はどれも面白く、科学哲学や国際経済・安全保障論などを、必死で勉強したことを覚えています。その中で出会った本の一つが「スモール・イズ・ビューティフル」です。
詳しくは読んでいただきたいですが、エネルギー問題に関する一つの考え方が示されており、この本を「建設的かつ批判的」に読みながら、自分なりの「エネルギー論」「科学技術論」を構築していった思い出があります。僕が手元に持っている本は、どうやら大学時代に読んだその物ではなく、恐らく、川崎重工から小松製作所に転職(29才の時ですね)して、再びエネルギー問題に取り組む事になり、手にした本のようですが、その本で数少ない下線が引いてある部分を以下に引用します。
「それは、一つの問題を別の平面に移して解決をはかろうとし、実際にははるかに大きな問題を抱え込むことを意味する」P26
「今進んでいる破局への道を脱出するのが最も重要な仕事だということである」P27
「では、その仕事は誰がやるのだろうか。<中略>われわれ一人ひとりである。未来を語ることに意味があるのは、現在の行動に結びつく時だけである」P27
「楽しみながら働くことができるようにすることである」P28
(以上、ページ数は、講談社学術文庫 第25刷 による)
当時の京大生(90年代ですが、年に何度か「バリケードストライキ」が行われるような大学でした)には、まだ幾分左翼的な、世の中を斜に見た姿勢があったように思いますが、そんなことをしていても、何も変化しないと悟った時期でした。同時にそれは、一人ひとりを強くするという意味で、教育や経営に改めて興味を持ち始めた頃でもありました。
当時は、ガルブレイズ、スノー、ポパー、D.ベルやL.サローなど、経済史や科学哲学を中心に幅広い本を読み、自分なりに「これから、世の中を良くするために何をすべきなのか」を毎日のように考えていました。すでに紹介済みの「甲斐塾」の同僚とも、毎日討議していた事を覚えています。今からすれば、非常に稚拙な議論であったことは間違い無いですが、しっかり勉強した上で、答えのない問題に対して自分の頭で結論を出そうという姿勢は、この時代に身についたように思います。
僕は元々、勝ち負けを競うような世界に全く興味が無いので、「誰かが認めてくれる正しい答え」というよりは「自分なりに納得がいくまで考えた結果の答え」を追求する癖があります。いいのか悪いのかわかりません。自分の人生なので、それが他人から見ておかしなものであったとしても、自分で納得の行く答えが出したい、ただそれだけのような気がします。
その後の経緯は、僕の経歴の通りですが、高校・大学時代の過ごし方が非常に重要であるという、自分なりの経験が、いまの「発明塾」につながっています。
一生読める本に出会う。そんなことも、大学時代の楽しみにして欲しいと思います。
さて、塾生と卒業生に贈りたい。
「未来を語ることに意味があるのは、現在の行動に結びつく時だけである」
決して、現実の傍観者になってはいけない。愚痴を言って酒を飲んで、それで済ませてはいけない。実は僕はあまり酒を飲まない(のは皆知っていると思います)のですが、別に酒が嫌いなわけではなく、世の中の大半のことは、下手すると「酒飲んで愚痴を言う」で済ませてしまえるので、セーブしているわけです。
大いに未来を語り、それを現在の行動に結びつけて欲しい。未来は現在の結果だから。
ただそれだけです。