安富さん、ありがとう。
これまでも、僕が参加できず
「自主開催」
は、度々ありました。
この点、人によっては疑問を持たれるようです。
「休み」
にしたらいいのではないですか、という質問をもらったことがあります。
で、タイトルになります。
● 「毎週」が重要
僕が、
「フランクリン・プランナー」
の愛用者であるという話は、これまで度々(たびたび)しています。
重要なことは、なぜ
「”7つ”の”習慣”」
か、ということでしょう。例えば、なぜ
「法則(Law)」
ではなく、習慣(Habit)なのか、と考えてみても良いでしょう。
僕が、どんなに忙しくても、発明塾を
「休み」
にせず、自主開催であっても
「開催」
するのは、そういうことです。
小塚さん、安富さん、他OB/OGの大半が
「毎週やることに、意味があった」
という感想を持っているようです。
どんな意味があったのか、聞いてみたいですね。
(チョット意地が悪いかな・・・笑)
また、小塚さんを塾長代行、安富さんを投資部の責任者とし、毎回討議に参加してもらい、かつ、運営してもらうようにしているのも、同様の理由です。投資部発足の理由にも、そもそも、OB/OGが毎週議論できるように、ということが含まれています。
(投資部について、楠浦が主催?するのは、隔週にしてもらっていますが・・・)
(画像をクリックすると Amazon.co.jp のサイトへ移動します)
Amazonのプログラムから画像を引くことにしました。
「直感と演繹(推論)」について、よく考えます。
● 「一緒に成果を出す」ことを、最優先にする
もう一点、僕が発明塾で最優先にしていることは
「結果を出す」
ことです。結果を出す簡単な方法の一つ、しかも、比較的簡単な方法の一つに
「僕が、発明を出す」
があるのですが、もちろん、それでは”塾”の意味はありません。
「一緒になって、発明を出す/仕上げていく」
(一緒に成果を追求する)
ことが、大事だと思っています。
「一緒に成果を出そうよ」
(その過程で、互いに、学ぶことが有るから)
常に、そう呼びかけてきました。
もちろん、行き詰ったときは、常に
「まず、自分が成果を出してみせる」
ことを、心がけてきました。
(これからも、そうでしょう)
立場を超えて、
「同じ釜の飯を食う」
みたいなイメージで、取り組んでいます。
どの塾生も、最初から発明が出来るわけではありません。
また、発明を創出するプロセスの一部において、顕著に
「得手・不得手」
が出ます。
「一緒に成果を追求する」
なかで、
「自分なりの、発明創出法」
を見出し
「偶然を必然化」
していってもらうのが、
「発明”塾”」
だと思っています。例えば、
「発明”教室”」
「発明”指導”」
ではない理由について、考えてみてはどうでしょうか。
僕の、非常に個人的な
「塾生」
経験、および、塾での英語講師経験から
「塾」
という形式がぴったりだと、感じています。
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