ご都合がつかず、お申込みいただけ無かった方、次回、あるいは、弊社の他のセミナーにて、お待ちしております。
12月15日 「制約思考」セミナー
ご質問やご感想を頂いた部分を中心に、内容の振り返り、また、補足をさせていただきます。
8月31日 「制約思考」セミナーの振り返りと補足
とも、一部重複する内容がございます。
(重複するご質問などが、多数ございました)
● 「よいネタ」と「よいチーム」を揃えたい
これは、僕の個人的な経験、また、その時に巡り合った方々の感想を踏まえたものです。
Start-Up在籍時に聞いた、ある人のコメント
「貴重な人生の一部を、棒に振ってしまった」
が、いまでも頭に強く残っています。
「よいネタ、そして、よいチーム」
を、運に任せずに揃える、それが
「未来創造設計」
という考え方です。
その第一歩が、
「未来創造設計書」
です。
過去の動向から見て、我々のこの考え方も、すぐに模倣?され、広まるだろうと予測しています。
「特許情報を用いた技術マーケティング」
「ビジネスに効く知財」
など、常に、最先端の考え方/手法を皆様に提供し、業界のスタンダードとして定着してきています。
ややトリッキーなタイトルですが・・・
ここで取り上げられた経営者の方々は、アタリマエのことを
アタリマエに実行されている方々ばかりです、
少なくとも「投資」という観点からは・・・。
● 「設計」とは、「後を楽にする」「未来を繁栄させる」仕事
僕があまりに「設計、設計、・・・」というので、多くの塾生さんが設計者を目指すという不思議なトレンドができていて、個人的には少し面白いと感じています。
(「コマツ」に行きたい、という人が多いように感じますが、これも僕がいろいろ話すからでしょうか・・・)
僕は、製造現場に「とても」よく行く設計者でした。
(気分転換も兼ねて、だいたい毎日行くようにしていました)
「どうやって作ってるかわからないのに、そもそも設計はできない」
「あとで、”これじゃできないんだけど”と言われると、いろいろなものが大きく狂う」
理由は様々ですが、ここで書いたように
「考え抜いて、他者を一歩 ”抜く” 楽しさ」
にハマっただけのような気もします。
「現場を知り」
「現場に根回しをして」
という基本的なところの上に、
「敢えて、限界を超えるような要求仕様(設計書)を出す」
ことを、心がけていました。
「安全と無駄の境目、ギリギリ」
を攻めないと、良い製品はできないからです。
「出来るものを、ただ出来るなりに作って」
いても、その先は知れています(*)。
「現場との信頼関係」
の上で
「あえて、図面で喧嘩を売る」
のが、僕の、というか、当時のカワサキの流儀でした。
「もっと攻めませんか」
それが、
「設計書(図面/仕様書)」
に入れるべきメッセージである、と、僕は設計の仕事を通じて、
「悟り」
ました。
「未来創造設計書」
は、そのような、僕の個人的体験というか、
「皮膚感覚」
のようなものから生まれました。
「エッジを示し、攻めてもらう」
「攻めてもらうための、翼を授ける」
そんなものにしたいなと、思っています。
長くなりすぎましたので、続きはまた、いずれかのセミナーでじっくりお話させていただきたく、今後とも宜しくお願い申し上げます。
楠浦 拝
*まだ社会人になっていない、塾生さんのために、この部分、もう少し補足しておきます。
僕が設計者なりたての頃、つまり、川崎重工入社6ヶ月後ぐらいの頃、のことです。
図面を描くのが早かったため、課長に大変かわいがっていただき、いろいろな仕事を任せていただくことになりました。ある日、図面を巡る生産現場との交渉、いわゆる「この図面では作れない」的なやり取りを、任せていただくことになりました。
交渉の結果、「持ち帰り、再検討します(つまり、図面を修正する)」になり、課長にその旨を伝えた後の、課長の言葉を、今でもはっきり覚えています。
(課)「楠浦くん、そこで妥協すると、その現場の人は、仕事がなくなるよ」
(楠)「??」
(課)「だって、我々は、5年10年続く製品を開発するんだよね。それって、5年後10年後のアタリマエを、いま、予測して、現場に指示するってことよね」
(楠)「??」
(課)「だとしたら、今のレベルで妥協してたら、5年後10年後には、全く相手にされないものが出来るよね」
(楠)「はい」
(課)「だとしたら、その現場は、5年後10年後には、不要になるね」
(楠)「・・・」
(課)「君は、そういう責任を背負っていることを理解した上で、”図面直します”って言ってきたの?むしろ、もっとその現場の仕事が増えるように、将来栄えるように考えないとダメやね」
(楠)「・・・」
(課)「設計が、どういう仕事か、理解してないみたいだね」
(楠)「・・・もっかい現場行ってきます」
当時カワサキは、まさに5年10年、世界の最先端を独走するような商品を次々と出していました。その背景には、こういう考え方があったんだなと、それを途絶えさせるわけにはいかないなと、色々考えさせられた仕事でした。
当時の課長は、少し前に亡くなられ、お礼を伝えず終いとなり、残念です。
設計の話をするたびに思い出す、とても貴重なやり取りです。
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