いつも言っていることですが、広義の「発明」は
①用途発明
②課題解決型発明(狭義の「発明」)
の二つに分けることが出来るでしょう。
【用途発明 と 課題解決型発明】
「用途発明」とは、「こんな技術/材料があるんだけど、何かに使えませんかね?」に応えるもの。演習課題「光触媒の用途探索」は、こちらにあたります。
情報分析を用いる手法は、以下の論文で触れました。
「特許情報を用いた技術マーケティング」
他方、「課題解決型の発明(狭義の発明)」は「こんな問題があるんですけど、だれか何とかしてくれませんかね」に応えるもの。
必要は発明の母、などといいますが、発明というと皆さんがイメージするのはこちら。課題を解決する手法を探す、もしくは「課題を予測・発掘して」解決する、という発明です。
「特許情報を用いた技術マーケティング」
他方、「課題解決型の発明(狭義の発明)」は「こんな問題があるんですけど、だれか何とかしてくれませんかね」に応えるもの。
必要は発明の母、などといいますが、発明というと皆さんがイメージするのはこちら。課題を解決する手法を探す、もしくは「課題を予測・発掘して」解決する、という発明です。
演習課題「新しい靴を考える」は、こちらにあたります。靴の現在の課題はなにか、将来、靴はどうあるべきか(それと現状のギャップが課題)、を考え、それを解決する(ギャップを埋める)技術を考える(たいていは=探す)ことになります。
しかし、すくなくとも僕の中では、これらは一面的な見方でしかありません。
2つは「奥底で深くつながっている」のです。
2つは「奥底で深くつながっている」のです。
たとえば、用途発明のトピックでも、あるシチュエーションに限定して、そこで使えないか、使えない理由はなにか(つまり課題)、それを解決できないか、と考えていくことで、発明のタイプは「課題解決型」に変換されます。
この場合は、まず「どんなシチュエーション(状況=国、地域、場所、人、季節時間、産業、などの5W)がありうるか」をMECE的に導出し、「そのなかで有望そう(市場が大きそう)なところはどこか」と考えて、そこで使うための課題を発掘していくことになります。
もちろん、もっと具体的に、用途として思いつくものをMECE的に導出し、そこで使うための条件を考えても究極的には同じです。
逆に、「課題解決型」のトピックも「用途発明」に変換することが出来ます。すでに出来ていること、できそうなこと、とそれに関連する別のものを組み合わせると、さらに進化するのではないか、と考えてみます。
たとえば「靴で発電できる」というのは、すでに起こりつつある未来です。では発電できると何が解決できるのか。つまり、靴からの給電により解決できる課題を発掘するわけですが、そこで具体的な先行技術、アイデア、参考情報などを挙げていきます。「靴からの給電により解決できる課題を持つモノ」を探す、ということかもしれません。
立命館大学の講義では、この手法を用い、非常に面白く、かつ、有用性・実現可能性が極めて高い発明の創出に至った学生Grがありました。討議中、僕は、「パナソニックのHPにある家電カタログのすべてのものと、靴、を組み合わせて、それで何が起こるか、何が解決できるか、何が面白いか、どんな意味があるか考えて」と助言しました。
彼らはそれを忠実に実行し、素晴らしい発明が創出できました。
また「靴である必然性が薄い」方向へ進化させても無意味です。「靴」について発明を創出する場合、そもそも「靴」の特徴を生かし、「正常に」進化させる必要があります。この意味において、「用途発明」の根底にある考え方を知らずに、「課題解決型」発明に取り組むことは、不可能ではないかと、僕は思っています。
また「靴である必然性が薄い」方向へ進化させても無意味です。「靴」について発明を創出する場合、そもそも「靴」の特徴を生かし、「正常に」進化させる必要があります。この意味において、「用途発明」の根底にある考え方を知らずに、「課題解決型」発明に取り組むことは、不可能ではないかと、僕は思っています。
【発明討議で気を付けなければならないことは?】
ブレインストーミングでは、よく組み合わせの話をします。MECE、あるいは外部の情報源(MECE的にリストになっている物)を活用し、網羅的な組み合わせで考えるのも、ひとつの手法です。
僕は、一人でアイデア出しをしなければならない時、かなりの確率で、この手法を活用します。
かつて、これをブレストと称して行った際、ある上司から「一人で行うアイデア出しは、ブレストには属さない。この発言を撤回し、修正しなさい」と言われたことがあります。しかし、僕はこの手の、結果につながらない分類学や揚げ足取り(*)に、あまり興味がありません。何よりも結果を出したい、結果が出る方法を追求したい、と考えています。
頭の中で「嵐」が起き、素晴らしいアイデアが出れば、それは僕にとって「BrainStorming」です。
皆さんも、常に頭に「嵐」を起こしてください。
言葉の定義や分類に「屁理屈」的にこだわり、揚げ足を取り、勝ち誇る姿勢は、発明にとって有害無益です。その方法をなんと呼ぶかは別にして、「いいアイデアが出たかどうか」で判断しましょう。
僕がいつも、どんなアイデアや情報に対しても、
「それなかなか面白いね、どうやって思いついたの」
「それなかなかいい情報だね、どうやってみつけたの」
と聞くのには、訳があります。
「どんな(下手な)演奏からも、必ず学べる」(ある著名なギタリストの伝記から)
と、思っているからです。
そして、
「どんなアイデア/情報からも、何かを引き出し、その場を一歩でも進めることに集中する」
のが、その場にいる全員のミッションだからです。
忘れないでください。発明討議において、誰かに勝つ必要はありません。いい発明が出れば、その場にいる全員が勝者です。自身の知識をひけらかしたり、論理的思考能力を誇示する必要はありません。
「その場の誰か」の頭から、発明が出ればよいのです。その発明が凄いかどうか、それが全てです。
そして、みんなで一緒に勝ちましょう。それが発明の面白さです。
誰一人、負かす必要はありません。結果を出すために、他人を否定する必要はないのです。
僕自身も、たまに「やって」しまうので、自戒の意味も含め、書いておきました。
* ある種の「ディベート」には、技巧として必要かもしれません。「朝xx生TV」みたいなものをイメージしましょう。小さな失点を拡大して相手を否定し、勝ちに持っていく、というタイプの議論です。僕は、全く興味がありません。ですので、議論には常に負けます。それで、結構損をしている気がしますが、人生の貴重な時間を、「人類にとって何の進歩ももたらさない(ゼロサム)、口先だけの勝ち負け」で、無駄にしたくないという思いの方が、今のところ勝っています。