今回も、各自のアイデアを討議しました。夏休み課題の締め切りが近づいていますので、いわゆる「詰め」の段階の討議を、数多く行いました。
僕は「発明は詰め将棋と同じ」だと思っています。先行技術を起点にして、どこまで「深堀り」できるかが、ポイントです。
繰り返しですが、初期の「自分の着想(アイデア)」にこだわる人がいますが、全くオススメできません。常にアイデアを、先行技術をベースに見直し、飛躍させる事が重要です。飛躍の手法は、塾で日々教えているわけですから、「自分が何が出来て、何ができていないのか」しっかり確認し、弱点を克服することです(注1)
また、僕の定義では「発明提案書には、技術内容だけでなく、ビジネスモデルと、それを担保する知財戦略を記入する」ことになっていますので、その点も忘れずに。
「ちょっとオモロイこと言うぐらいのことは、中学生でもできる」(注2)
という、Sくんの名言を忘れずに(中学生の皆さん、失礼)。
今回講義で話したのは、「常に100%を目指す」ということです。一言で言うと「Mastery(熟達)」ということです。
世の中には、
「60点主義」「8割主義」
を説く人も多く(注3)、勘違いしている学生も多いので、敢えてこれを口癖にするようにしています。
僕の考えでは、試験で100点以外は、0点と同じです。何らか不完全な点があるからです。僕の仕事であった「設計」で言うと、一箇所でもミスがあれば「作り直し」になるからです。
「1箇所ぐらい寸法が間違っていてもいい」
とは、残念ながらなりません。設計には「完璧」が求められます。川崎重工の社内規格で、一番大きな図面寸法は、縦はA0サイズ、幅無限の「A0L(エーゼロエル)」です。エンジンの部品では、クランクケース、シリンダーヘッドなどが、この図面規格に相当する部品です。運が良ければ、幅は、数メートルに及びます。
特に、クランクケースやシリンダーヘッドは、エンジンの重要な部品を中に収める「要(かなめ)」の部品であり、その図面内だけでなく、関連する数十の部品の図面と照らしあわせて、ときに数百に及ぶ寸法をはじめとした、ありとあらゆる記載内容を、一言一句、何度も何度も、根気よくチェックすることを、設計者は常に迫られます。もちろん、設計の過程でも、繰り返しチェックしているのですが、やはり、出す図面が全てなので、この「出図チェック」に、膨大な時間を割きます。
1枚の図面をチェックし続けて、それで一日が終わってしまうことも度々ですし、途中で止めるとわけわからなくなるので、終わるまで帰れない、ということになります。途中で電話で呼び出されたりすると、腹が立ちます(注4)。
設計者がこれだけチェックしたものを、上司が同じようにチェックすることは、不可能です。つまり、「担当者のチェックが全て」なのです。上司は「大丈夫なんやろな」と聞くだけです。担当者は「大丈夫です」というしかありません。もちろん、証拠は示すのですが(委細割愛)。
なにか起これば、担当者が走り回って全て火消し、再手配、改修などを行います。その経験が、「出図チェック」を、ますます完璧なものにします。
運良く(悪く?)入社2年目で、新機種エンジン開発の「実質上の総まとめ」を担当することになった当初、自分の図面で手一杯な上に、部下?(年齢的には全員年上で、キャリアも上の方ばかりです)の図面もチェックしていた頃の毎日は、本当に忘れられません。「毎日、確実に成長」していた、貴重な日々でした。
実は僕も「そのままでは絶対に使えない」=「作り直しを余儀なくされる」図面ミスを、1度だけやった事があります。そのこともまた、忘れられません。開発中の部品ということもあり、最終的には、自力で全て手直しして、開発を継続できました。設計者には、溶接や機械加工などの実技も不可欠になります。自分のミスは、自分でリカバーせざるをえないことも、度々だからです(注5)。
僕が、就職にあたり全ての教え子にいうことは、ただ一つ。
「完璧が要求される、厳しい仕事に就け」
テキトーで済まされるヌルい仕事で、変な癖がつくと、それこそ「使えない奴」になってしまう。
100点をとる能力は、それを追求し続けないと身に付かない。100点のレベルは、世の中の進歩で毎年向上するわけだから、「現状維持」的な発想では、結局後退してしまう。
仕事柄、多くの人を見るわけですが「完成度が上がらない」タイプの人は、仕事を任せる方も(気分的に)キビしいが、受ける方もキビしいだろう。だけど「仕事」なので、やってもらわないと困る。完成度が低いものを「出来ました」と出されても困る。だれかが、後始末しないといけない。自分で仕事が完結出来ないと、「プロ」とは呼べないし、厳しい言い方をすると、それは「仕事」ではない。
僕が川崎重工で、オートバイの設計を通じて学んだことは、そういうことです。「たった」一つの図面寸法の間違いが、その後のすべての人の仕事を台無しにする。そういう環境での経験があったからこそ、今の僕があると思います。
例えば Completed Staff Work(注6) という言葉がある。Wikipediaによれば、米軍の言葉らしい。仕事というのは、こういうものである、と僕は思っている。
若いうちに、どれだけ「Mastery」の方法論を持てるか。
それに尽きます。
※ 注1) これは重要なポイントなので、「塾長の部屋」で、後日取り上げます。
※ 注2) 以下参照。
・「発明塾京都第130回開催報告」
http://edison-univ.blogspot.jp/2013/05/130.html
※ 注3) 個人的には、佐藤優氏の読書論に関する本を読めば、一蹴できる主張だと思います。
※ 注4) そのため、僕が入社した時には「Max2」という制度があり、午前2時間、午後2時間「会議も電話も無し」という時間が、設けられていた。正しいと思う。
※ 注5) 僕はこの点恵まれていて、かつて「試作工場」のベテランの職人に、「お前が上手すぎると仕事がやりにくいから、もっと手を抜け」と、皮肉な褒め言葉を貰いました。
※ 注6) 以下参照。また、少し長いですが、必要部分を引用しておきます。
・「ある言葉」 http://manamix.exblog.jp/5809042
以下引用。
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Completed Staff Workとは、スタッフによって行われる「問題のスタディ」であり、また、「解決策の提示」です。この場合上長の責任で行われる決定が、即、完全なアクションとなることが要求されます。一般に、問題が困難であればあるほど断片的にあるいは不完全な形で上長に提示する傾向があるために「完全なアクション」という言葉が強調される必要があります。
細部のスタディをするのはスタッフとしての義務です。いかに問題がわかりにくくても、スタッフは結論に至る過程の細かい問題の解決を上長に依存すべきではありません。その問題に関して結論を導き出すまでのすべての障害は、スタッフ自身によってとりのぞかれなければなりません。
経験の浅いスタッフにしばしば見られることですが、何をすべきかを上長にたずねたい衝動は、問題が難しいときほど頻繁に起こるものです。何をすべきかを上長に尋ねることはいとも簡単なので、上長が答えることも非常に簡単のように見えます。しかし、その衝動に抵抗しなければなりません。その衝動に負けるのは、スタッフが自分の仕事をよく知らないからです。
上長が何をすべきかをアドバイスすることがスタッフの仕事なのであって、スタッフがすべきことを上長にたずねることが仕事ではないのです。上長は解答を必要としているのであって、決して質問を欲しているのではありません。スタッフの仕事とは、一つの結論、それもあらゆる角度から熟慮されたものの中から最良のものを引き出すまで、スタディし、チェックし、スタディし直し、チェックし直すことなのです。上長は、単に是非を決するだけでよいはずです。
冗長な説明文やメモで上長を煩わしてはいけません。上長に対してメモを書くことはCompleted Staff Workではありません。しかし上長が第三者宛に送付できるようなメモを書くことはCompleted Staff Workといえるでしょう。上長が、単に署名するだけでスタッフの見解を自己の見解と出来るように、スタッフの見解は完成された姿で上長に提出されるべきなのです。
多くの場合Completed Staff Workは上長の署名のために用意された一様の文章に帰着します。適正な結論に達していれば、上長は直ちにそれを認めるでしょうし、もし彼がコメントか説明を望むときは、その旨を要求するでしょう。
Completed Staff Workという考え方は、スタッフにとってより多くの仕事をもたらすかもしれませんが、上長にとってはより多くの自由が与えられます。これこそ、本来のあるべき姿なのです。さらにこの考え方はふたつの利点をもたらします。
1、上長は生煮えの計画や、大量のメモや、結論に達していない口頭での報告にわずらわされなくてすみます。
2、本当に役立つアイデアを持っているスタッフは、自分が活躍する場をますますみつけられるようになります。
あなた自身が、Completed Staff Workを完了したかどうかのチェック方法は次の通りです。
1、もしあなたが上長だとしたら、あなたが準備した書類に喜んで署名しますか。また、あなたの「プロフェッショナル」としての名誉にかけて、それが正しいということを保障できますか。
2、万一答が否定的であれば、その仕事を撤回してもう一度やり直すべきです。 なぜなら、その仕事はまだ「Completed Staff Work」ではないのですから。