毎回、必ず討議をレビューし、個人作業で発明に取り組めるように、してください。
さて、そろそろ卒業し、社会人になる人もおられますので、定例ですが、楠浦が一番最初に就いた仕事である「オートバイのエンジン設計」という仕事が、どんなものだったのか、というお話をしましょう。
後者のBlogから一つ引用しておくと、
「技術者の仕事というものは、芸術家の自由奔放な空想とはちがって、いつもきびしい現実的な条件や要請がつきまとう。
しかし、その枠の中で水準の高い仕事をなしとげるためには、徹底した合理精神とともに、既成の考え方を打ち破ってゆくだけの自由な発想が必要なことも、また事実である。
与えられた条件がどうにも動かせないものであるとき、その条件の中であたりまえに考えられることだけを考えていたのでは、できあがるものはみなどんぐりの背比べにすぎないであろう。
私が零戦をはじめとする飛行機の設計を通じて肝に銘じたことも、与えられた条件の中で、当然考えられるぎりぎりの成果を、どうやったら一歩抜くことができるかということを、つねに考えなければならないということだった」
「零戦 その誕生と栄光の記録」 堀越 二郎 著
の一節を、当時の塾生さんが共有してくれたものです(写経)。
国家にも、企業にも「設計者」は
必要でしょうね。
Where there is a will, there is a way
「意思がなければ道は無い」という意味で。
ちなみに僕は、この小説を読んでいません。
ですが、この一節が意味していることそのものを、常に追求してきたので、よくわかります。
「設計」という仕事は、
「与えられた条件の中で、当然考えられるぎりぎりの成果を、どうやったら一歩抜くことができるか」
を、来る日も来る日も、ひたすら考える、そんな仕事です。
設計の仕事は「考える」ことなので、
「実験したり」
「製造したり」
することは、その道のプロに
「お任せ」
することになります。
その「お任せ」のための、共通言語が
「試験計画書(依頼書)」
「設計図」
です。
それぞれ、
「どういう目的で、どの部品にどういうテストをして欲しくて、期待する結果はどんなものか」
「どの寸法はどの範囲で、材料や熱処理はどうで、やむを得ず特定の加工法でやって欲しい部分は、どこなのか。それを、どのように検査して確認して欲しいのか」
を、
「相手がその通り出来るように」
詳細に指示するものです。
よく、
「具体的に」「詳細に」「Detailで」
という言葉が出ますが、それは、
「相手が、自分の考えている通りにできるか(再現)」
という基準になります。
実際にやったこともないことを、
「図と言葉」
で指示するわけなので、大変と言えば大変ですが、
「実際に想像通りのものが、”完璧に”上がってきた時の、何とも言えない達成感」
が、病みつきになる仕事です。
「設計がやってみたいです」
と言って卒業していった塾生さんは、無事
「設計者の卵」
に、なれたかなー。