「発明塾®」へようこそ!: 発明塾京都第152回開催報告~「知財は交渉力」と思う日々

2013年10月26日土曜日

発明塾京都第152回開催報告~「知財は交渉力」と思う日々

第152回も、いつも通り各自のアイデアや特許分析の結果を討議し、その後課題演習を行いました。

発明には、特殊/高価なツールは必要ない。先行技術を素早く見つけ、その技術思想を見抜く手法に、まず習熟すること。その上で、常に技術を流れで捉えること。そして、集団/個人でのアイデア出しについての「若干の」技法を、しっかり身につけることです。


経験上、さほど難しいことではありません。


一定期間の訓練で、必ず身につくものです。


変な理屈をこねずに、地道にトレーニングに励んで下さい。


丁度皆さんが、受験勉強をしていた頃を、思い出すと良いでしょう。


なぜか日本人は、大学に入ると勉強法を忘れてしまうようですが、ほとんどの高校生は、予備校などで、正しい勉強法を学んでいます(注1)。忘れないことです。


あとは、「わからないことを、わからないと認める素直さ」です。


素直さの議論は、以前やりましたので割愛します。


「分かった風」


を装っても、何も得るものはありません。わからないことを見つけ、認め、頭を下げて教えを請うことです(注2)。なぜか、わかっていない人ほどプライドが高く、わかっていないという事実を、なかなか認めたがりません(だから、色んな事が「わかっていないまま」、大きくなってしまうのでしょうが)。


多数の学生や部下を指導してきた結果、一見「天然(ちょっとズレている人)」に見える人のほとんどにおいて、「分からないことを認めるのが恥ずかしい」という点が、学び/成長を阻害していることが、わかっています。「ズレ」は、「わからないことを放置した結果」なのです。


「ひょっとして」と思う人は、早めに修正しましょう。「わからないことを放置する」ことが癖になると、「ズレ」がどんどん広がって、最終的に誰も何も教えてくれなくなります。広がったズレを自ら認めるのも、かなりの苦痛が伴うでしょうから、この悪循環は止まりません。


放置して、良いことはなさそうです。



さて今回は、直近でいくつか興味深いニュースが有りましたので、塾で取り上げきれなかった部分も含め、取り上げておきます。知財戦略/知財権が「どのように」重要になりつつあるか、ということを、これらのニュースから読み取って欲しい(注3)。



1.NTTドコモが「iPhone」を販売するかわりに提供したのは?

これは、以前から多くのニュースが流れていましたので、ご存じの方も多いでしょう。あるいは、無線通信の業界では、よく知られたことだったのだろうと思います。

・「アップルがiPhone販売の見返りにドコモに突きつけた条件とは」

http://www.techvisor.jp/blog/archives/3541

最新の記事は、いくつかまとめて以下に引用されています(注4)


・「アップルの密約-ドコモに与えた最恵国待遇」

http://ameblo.jp/enntopia777/entry-11645970271.html

AppleはもともとPCメーカー。携帯音楽プレーヤーの延長線上で、携帯電話に参入している(注5)。では、以下の計算をしてみましょう。


「携帯電話-PC=?」


答えは無線技術である。初代 iPhone が、なぜ GSM(第2世代) だったか。なぜ Qualcomm チップではなく、Infinion チップだったか。「新しくてクールな商品を出すのがウリ」のAppleが、なぜいまさら「時代遅れ」の「第2世代」の携帯電話を?、誰もがそう思ったハズである。


このあたりも、知財面から見れば、理由が分かる。その辺の理由から察するに、Appleは現在、「知財に関しては、かなり用意周到な会社」である。


無線通信業界において、技術と知財を巡る争いは、販売権にまで飛び火している。まさに「知財は交渉力」の面目躍如だ。


元キヤノン知財部/大阪工業大学 田浪教授は、弊社主催の「知的財産セミナー」で、以下のように述べておられる。


「知財を交渉力として、優れた技術を持つ企業と、有利な立場で提携していく」


それこそが、「知財戦略」だと。



ここで思い出すべきなのは、IBM(注6)。


・「発明塾京都第150回開催報告/京都大学「ものつくりセミナ」講義報告」

http://edison-univ.blogspot.jp/2013/10/150.html

IBMと通産省の「コンピュータ」交渉/戦争で、最終的に飛び出したのも「電電公社(現NTT)の特許」。日本にコンピュータ産業が残ったのは、この交渉の結果。つまり、電電公社の特許のお陰。以下に取り上げる NEC(日本電気) も、いわゆる「電電ファミリー」として、日本のコンピュータ産業とともに成長した会社です。



2.NEC と Lenovo の「携帯電話端末事業」譲渡交渉

Nokiaの携帯端末事業譲渡(注7)の時もそうでしたが、少なくとも無線通信の世界では、もはや事業価値の大半は「特許」になってしまっている。技術者出身の経営者である僕としては、若干の寂しさと「否定したい気持ち」があるのは否めないが、数字や交渉の経緯が示していることなので、仕方がない。

・「パソコン世界一 中国レノボ襲う盛者必衰のジンクス」(日経新聞有料記事:注8)

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1104E_R11C13A0000000/

特に基地局を含むインフラ系の特許に、興味を示していると言われている。Nokiaが端末事業を売却して、インフラ系に特化しようとしていることを合わせて考えると、興味深い。交渉力争いが、既に始まっているのであろう。


もはや、技術系企業の交渉事において、特許や知財の話は避けて通れない。将来、経営を志す理系学生は、知財を武器として駆使する方法を熟知することが、必須である。それは、経営の自由度を著しく高め、経営目標達成に向かって、柔軟に取り組めるようになることを意味する。


いや、あるいはもはや「知財を熟知」していなければ、「経営に柔軟に取り組めない」ことを、意味しているのかもしれない(注9)。少なくとも、LenovoやApple、NokiaやSamsungを相手にするなら。




※ 注1) 実際、僕が実践している勉強法、読書法、ノートの取り方は、全て「駿台予備校京都本校」で学んだ方法です。塾生に聞く範囲では、今でも全く同じことを教えているようです。本質的な方法は、時代/環境を越えて通用する、ということでしょう。


※ 注2) 社会人でも、これが出来ない人が結構多いのも事実です。セミナーでたまにこういう人に出会うのですが、学びたいのか学びたくないのか、よくわからないのでとりあえず徹底的に無視することにしています。


※ 注3) 知財(権)は、良くも悪くも「経営のツール」でしか無い。技術系企業においては、研究開発成果をマネタイズするためのツール。交渉力としてどう使うのか、技術/頭脳のエグジットとしてどう位置づけるのか、ROIを高めるためのツールとしてどう活用できるか。僕はよく、クライアントの経営者/知財部門の方々と、そのような話をします。

少し前に、元ゼロックス/現ライセンス協会の原嶋会長とお話をしたのですが、ほぼ同じことをおっしゃられていました。


※ 注4) 原記事は以下(有料)。


・「アップルの密約-ドコモに与えた最恵国待遇」

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1803K_Y3A011C1000000/?df=4


※ 注5) このへんの詳しい経緯は、また機会があれば知財面での分析を交えて、取り上げたいと思います。



※ 注6) IBMに関する過去ブログは、他に以下。


・塾長の部屋(51)~「IBMの知財戦略/戦える頭脳集団へ」

http://edison-univ.blogspot.jp/2013/09/ibm.html

・発明塾京都第148回開催報告~「事業/企業のライフサイクルに合った知財戦略」

http://edison-univ.blogspot.jp/2013/09/148.html


※ 注7) 栗原弁理士のブログによれば、10年間の特許利用料が「40%以上」を、占めています。


・「マイクロソフトはノキアを特許ごと買ったのか?」

http://www.techvisor.jp/blog/archives/3929


※ 注8) 今後、無償の様々な引用記事が出れば、それに差し替えます。



※ 注9) 実際に、携帯通信の分野を中心に、大手製造業の知財交渉担当者から相談の連絡を頂くことも多く、少なくとも知財の世界では、「事前に武器を準備していなければ、戦えない」ことを、痛感する。攻められてからアタフタしても、打てる手は限られている。むしろ、「攻められそうなところへ、どう先手を打つか」という話で来て欲しい、と思ってしまう。


これも、例えば以下、元ホンダ知財部長の久慈氏が、再三指摘している。


・世界一知財訴訟を仕掛けたホンダの元知財部長が語る「攻めのハンター型知財戦略」

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2246?page=2

一方で、「攻めに出るようになってから、警告状がピタリと来なくなった」というお話を伺うこともある。つまり、これまでグレーゾーンだったところが、「シロ」になったわけである。経営/研究開発の自由度が広がった、ということである。