「今度、知財の仕事をされるんですよね。だったら、昔の部下がちょうど知財と発明創出の仕事をやってまして・・・」
と、ある投資家の方に掛けていただいた「一言」でした。
紆余曲折はあるものの、経営者である以上、
「期限までに投資家に約束した結果が出なければ、責任をとって一度辞めるべき」
という、今から考えれば当たり前のことを、30そこそこで経験出来たことと、そこからの再出発のチャンスを頂いたことは、いずれも貴重な財産となりました。
現職での道のりも平坦ではなく、リーマン・ショック後に、特許調査/分析からの撤退を即断し、知財/発明教育の事業を軸に据えて再出発(※)。
「その投資家の方の一言」がなければ、現在の事業は存在しなかったでしょう。
数百の発明を、数日から数ヶ月という短期間で創出するためには、それなりの方法論が必要で、過去の知識/経験や思いつきに頼ることは出来ない。
「もっと効率よくアイデアを生み出せないのか」
アイデアを生み出す方法を開発するところから、始まりました。
「大学生に発明なんかできるの?」
と、よく言われました。
「できます」
と自信を持って言えるのは、何故か。
「高校の数学教育が、”発明教育”と、仕掛けとして同じ」
だからです。
過去にも、数学に関する話題を幾つか取り上げているので、
「楠浦さんは数学が得意で、その手法が発明にも使えるんだな」
と思った方、答えはNoです。
「中学の数学の成績は、常に赤点ギリギリか、赤点。3年間下がりっぱなし。」
これが実態です。当然、科目として好きなはずもなく、それがまた成績が下る原因となる・・・という絵に書いたような悪循環。
最後まで残った苦手科目「歴史」も
この本で完全に解消されました。
偶然でしょうが、この本を「大学在学中に読んでおくべき」と
推奨いただいたのは、工業数学担当の教授でした。
工業数学の単位は落としましたが、元はとった気がします。
これが変わったのが、高校時代の数学。
成績は「良い」とは言えないまでも、好きな科目となり、現在でも数学書をたまに読むぐらいになっています。
では、高校の数学は、何が違うのか。何が面白いのか。
「多様な解法を探求しながら、多面的に学ぶ」
「解き方を覚えるのではなく、常に新しい解き方を考える」
そんな科目だったから、ということに尽きます。
「終わりがなくなっている」(覚えてハイ終わり、ではない)
ことの、面白さでしょうか。
もちろん、中学と高校で厳密に分けられるものでもなく、例えば中学の数学でも、「代数」に比べると「幾何」は、かなりこの要素を含んでいたと思います。
「もっと他の方法で、解けるんじゃないかな」
という問いを常に立てることを、教わったのが「高校の数学」でした。
「解けるか解けないか、ではなく、もっと良い解き方はないか、を考える」
ここに、「知財と発明」の原点があります。
高校数学で学びの基礎ができていれば、発明にも「楽しんで」取り組んでくれるはず、その予想は、ピタリとアタリました。
これって数学だけ?
たぶん、「高校のすべての科目」で、上記の要素が増すのだと僕は考えています。
例えば、英語。
「おー久しぶり、元気?」
たったこれだけの内容も、想定する状況しだいで、英語としての表現が変わります。
英語について、
「論理性と、表現の多様性」
を意識して学べるようになったのは、「駿台予備校」の講師の方々のお陰です。
特に英作文の授業では、徹底的に
「別解」
と追求するように、指導頂きました。
「1問から、どれだけ学べるか」
のほうが、
「たくさんの問題に取り組むよりも、実は効率が良い」
ということも、教えていただきました。
こういうことを、高校/予備校時代に学べたことは、今の僕の「発明・知財教育」に、非常に大きな影響を与えています。
「立命館高校」の先生方
「甲斐塾」塾長と講師の方々、および同期生も含めた生徒、教え子や後輩の皆さん
「駿台予備校京都校」の講師の方々
「発明塾」の塾生さんと、継続的に支援をいただいている企業/個人の方々
との出会いと、そこでの学びを、
「完成度の高い、発明・知財教育教材として形にしていく」
ことが、僕の当面の「発明」のテーマになりそうです。
※ どんな小さな事業でも、やはり撤退するにはそれなりの時間と労力がかかる。
頭でわかっていても、実際やると「あぁ、だからズルズルと続けてしまうのだな」ということがわかった、貴重な体験でした。
同時に、「辞める/止める」ことを、始める時から織り込んでおかなければいけない、ということも強く感じました。